■熊志共育塾0期生がキックオフ
 9月8日に熊志共育塾0期生がキックオフした。
今から半年間をかけて、カリキュラムのブラッシュアップを行い、来年4月からの正規塾発足を行いたいと考えている。
先ずは、6月24日のライフワークに投稿した『「地元起業家に学ぶ」塾づくりに向けて』から一歩前進したことになる。
http://homepage3.nifty.com/chieikasu/lifework/life104..html
キックオフ20日前の8月19日に、熊志共育塾0期生に加えて、共育ネットワークメンバー総勢15名での平田社長を招いての講話「GM攻略秘話」と会食懇談の会合を、6期生橋口君のレストラン・ボナペティで開催し、平田機工の原点にある平田家の家訓を含めて、いろいろな話を聞くことができた。
今回の0期生の初回会合では、それを踏まえて正規塾の第2講用に準備をしている「はじめに、苦難の時代」についての講話と意見交換を行なった。朝鮮から無一文になり引き上げて故郷の城島に戻り、食べていくために熊本居住を決断し、熊本で様々なビジネスチャレンジをしていた時代を、多様な視点から紹介し、それに関しての意見交換を行った。

熊志共育塾0期生


  今後に活かすために、今回の0期生の初トライに関する感想を聞いてみたので、以下に紹介しておく。
*S氏(副社長)
平田会長の姿から何をおこなって何を得た、失った等から始まり、近年にどのように変化をしたのかが、結果だけではなくそのプロセスも垣間見えたので、非常に親近感が湧き、自分(会社)に重ねることができ質問もしやすかった。その後の意見交換も、講義の中で出たことについて議論ができ、自社についての話も聞いてもらい、逆に聞くことができ、非常に有意義な会合だったと私は感じた。それぞれの実状問題を聞いてもらったり、聞くことで絆も深まっていけるような会にできればと思う。
 
*N氏(社長)
昨日はとても勉強になった。平田会長の苦労された時代、根底の精神形成過程がよく理解できた。戦時中の生活、終戦時の引き上げの苦労、家族を支える苦しみなど、想像以上に苦労があったものと思われる。敗戦後の焼け野原から様々な失敗、成功を繰り返して、少しずつ事業の原型を形成していったこと、特に塩作りのエピソードからは家族を食べさせていくために本当に死に物狂いだったことがよくわかった。

*W氏(社長)
一言というと、平田会長の原点を再度知ることが出来た。諦めないことの大事さ、また積み重ねることの大事さを再度確認出来た。また、素晴らしい経営者の方が参加しているのでディスカッションで出てくるお言葉が大変勉強になった。

I氏(常務)
それぞれ経営者の考え方を理解して、自社や自分に取り込んでいくために、どのような考え方やコンセプトで、何をしたらいいのか?どう行動したらいいのか?などなど、皆さんと都度論議しながら、各個人の力量向上に努めていくような会合になっていくと期待している。
 
*K氏(社長)
平田会長の人生に最大のインパクトを与えた一つに、終戦直後の朝鮮半島からの脱出の際の出来事があるではないかと思う。お母様の優しさが家族と自分の最大の危機を救った。それは・・・・・「たった一杯のコップの水」だった。
たった一杯の水でも、喉が渇いていた人にとっては、最高の喜び・・・・
自分の日頃の行いの中に、取るに足らない事!!だと決めつけて、勝手に切り捨てている事がないか!その行いが、会社に、家族に、自分自身に、大きく影響を与えている事に気づいていない事が沢山あるのではないか!と、反省させられた。

*H氏(専務)
ひとつの企業、それも社長(個人)に絞った深掘りはあまりなかったこと。一つ心配ごとだったのは平田機工、オムロンが全くの想像のできない業種であり、自分にどういう形で取り込めるかということだった。しかし皆との意見交換で色々な発言がありその中から噛み砕いてもらい理解できた事も多々あった。キックオフに参加して、ついていけそうな確信が持てた。

平田耕也氏と立石一真氏

 全世界に発信する企業にまで育て上げた地元起業家2人(平田耕也氏、立石一真氏)の生き方(生き様)や起業家精神を、多くの事例紹介・解釈・意見交換を通して実学として学び、今からの激変する社会変化への対応力を高めて、次世代を担う若手経営者の「企業の変化・成長・発展」に活かして欲しいと考えている。
感謝!