日本が世界平和に貢献するJ 「独走する日本」日下公人著より
 ― 日本が発明した普遍的な世界思想 ―

  その日本人の常識、センス、思想、精神、あるいは心得、教えというのは何か。

  グッと凝縮して整理すれば、「神道+道教+仏教+儒教+景教+アカデミー教」
 だと思っている。

  明治維新以後は「アカデミズムとサイエンスならよい」という、新しい“宗教”が入っ
 てきた。さらに戦後は“国連教”というのが入ってきて、国際社会のすることには
 ついていかなければいけない、逆らってはいけないとなった。
 
  こんなものを全部足して、混合し、一番いいところだけを残したのが日本の「民間信仰」
 だと思う。――これが普通の日本人の共通の常識、共通のセンスであって、「宗教」とい
 うべきかどうかは別として大切なことは世界を見てもこんなものはないということである。
 新宗教と呼ぶか、普遍的な教えと呼ぶかはともかく、日本が発明したものは「最も普遍的
 な世界思想」だと評せると思う。

  なぜ世界思想かといえば、材料として全部が入っているからである。世界中の思想を
 全部輸入して全部混ぜて、しかも二千年間咀嚼し続けた。それも同じ民族が二千年間、
 ああでもない、こうでもないと吟味し、味わった。良くないものは取り入れなかった。
 その思索の道程が文書になって残っている。外国人が捨てた文書も日本には残って
 いる。経典も仏典もそうだし、バブルのときはヨーロッパの古文書がたくさん日本に
 入った。

  こういうのは世界中にないと思う。

  特にないのは一神教の地域である。一神教は「我が神だけが尊い」という教えだから、他を絶滅させて
 しまう。一度一神教のウイルスに襲われたところは、昔からの思い出は全部消されてしまう。そのあと
 また昔の思想が復活する場合もあるが、復活しない場合が多い。

  ところが、日本は一神教の侵略を受けても大したことがなかった。これは外来思想が軍事力を伴って
 いなかったことも理由である。軍事力を伴った一神教に占領され、政治的にも支配されることが起こると
 その民族はすっかり心が変わってしまう。伝統が消えてしまう。

  しかし日本には、経済や文化から思想や精神まで支配されて属国や植民地になった、という過去が
 ない。一部に「国際親善教徒」がいるが、親善にとどまっている限りは安心である。