■呉善花(おそんふぁ)さん
  
 つい最近、平田機工・平田社長のところに九州工業大学・石原教授(数年前まで日立製作所で世界最先端のD−RAM開発をされていた方)を連れて訪問し意見交換をしていただいた。双方から喜んでいただき、いい出会いをつくることができたと嬉しく思っている。このときの話の内容も面白かったが、それ以上に紹介しておきたいことがあるので コラムを書くこととした。
 お二人が意気投合されて日本の将来に関する話になったときに、石原先生から「名前は知らないが、すごい韓国人女性が日本に関して核心をついた論説をしていた」との話に、すかさず平田社長から「その人は呉善花さんという人ですよ」との答。「日本人のいいところを、よくあそこまで分析できるとは、すごい人だ」との話があり、平田社長も彼女の本を読んだことで、影響を受けると共に日本の将来に希望を持てるようになったそうである。
  
 私は全く知らない人であったが、非常に興味を持ったので本を読んでみることにした。インターネットで調べてみたところ、いろんな本が紹介されていたが、興味を引く題名の本「日本が嫌いな日本人へ」(PHP文庫)を早速買って読み始めたところ、非常に面白い内容でもあり、新たな視点を見出すことが面白く、その日のうちに一気に読みあげてしまった次第である。
 この本の解説欄に拓殖大学の井尻先生が、「日本人および日本文化は素晴らしい理解者を得た。おそらく10年に1人出るか出ないか、あるいはもっと間遠かもしれないほどの理解者を得た。その名は呉善花さん。」と書いてあったが、全く同感である。この本に書かれている内容があまりにも広く深いこともあり、「日本人がこれほどまでに自信をなくした状態を見たことがない」ことに対して、日本人の素晴らしさをいろんな観点から表現した内容を、コラムの中でうまく紹介するのも難しい面がある。そこで本人の書いた「まえがき」と「あとがき」の中の印象深い一節を紹介することでとどめることとするが、呉善花さんに興味を持っていただき、彼女の本を一読されることをお薦めする次第である。

 『まえがき』の一節 
西欧近代の制度の究極の姿を示すアメリカンスタンダードは、現実を主体と客体に分離し、その「主体の自由」を徹底させたリベラリズムだといってよい。個人という主体、地域という主体、国家という主体、それぞれの主体が自由に活動できる世界を理想としている。しかし日本は、全体と個、主体と客体が分離できない世界にこだわり続け、その調和を理想として独自の近代世界を切り開いてきたのではなかったのか。
   
 『あとがき』の一節 
連載を終えて思うことは、曖昧さを大事にするということは、物事のトータルなあり方を大事にすることであり、曖昧さを切り捨てる思想は、世界を限定してしまう狭小な思想ではないか、ということである。