■画家 「清原 玉」(エレオノ-ラ・ラク-ザ)

  コロナウィルスも以前として猛威を振るうなか、学校も余儀なく休校延長となり
  今のところ6月からの登校となりました。
  「やれやれ」と思いつつ新聞を広げると吸い込まれそうな紙面に目を奪われてしまいました。
  ステキな画です。ずっと見ていてもあきません。それが画家 清原玉の下の画です。
  日経新聞の「女性像へのまなざし」(実践女子大学・小島薫)より抜粋します。


                          東京芸術大学大学美術館/DNPartcom提供

清原 玉
   明治政府に招聘された彫刻家ラグ-ザが帰国する際に同行し
   後にラグ-ザと結婚した。洗礼名はエレオノ-ラ。
   ラク-ザの故郷シチリア島パレルモで工芸学校を手伝いながら
   美術学校で学び、画家として写実的な肖像画や花鳥の装飾画に優れた作品を残した。
   長年の海外生活の中で日本語を忘れ、渡欧前の日本も遠い記憶の彼方となった。
   晩年の玉は西欧人が想像したような、このような楽しげな女性のいる幻想の日本を描いた。
   日本から忘れられていたが1931年彼女をモデルに「ラグ-ザお玉」と題した
   新聞小説が書かれ、評判となる。
   外国人と恋に落ち海外に渡った女性として脚色された「お玉さん」は、この絵の女性の
   ように着物を着て楽しげに異国で暮らした人となった。
   72歳で帰国後個展も開かれたが、現実の画家清原玉の研究は、近年パレルモで展覧会
   が開かれようやく本格化している。