■次世代に伝えたいこと

 今年は、次世代へのバトンタッチ活動を行うとともに、最後のご奉公に向けての新しい活動の準備に取り掛かってきた。その中でも、最も力を入れてきたものとして、「次世代に伝えたいこと」がある。
今からの新たな日本を創っていく若者に、日本の素晴らしさや誇るべきことを実感し、自信と夢や希望をシッカリ持って、いろいろなことにチャレンジすることで、パラダイムシフト後の「新たな日本社会の再構築」を図ってもらいたいと思っている。
私が「次世代に伝えたいこと」を考えるようになったことには、それなりの理由がある。そして下記の5つの出来事が繋がってしまったわけである。
 
 1.大病を克服したことの意味
私が4年前に難病を発症し半年間入院した。この病気に罹り入院・手術をして完全社会復帰ができるのは、高齢者の場合は2割だけとのデータが示された。覚悟を決めて手術を受けた結果、私はその2割に入って完全社会復帰できたことの意味は、「あなたには、まだやり残したことがある。」と「何か(サムシング・グレート)」に生かされたと確信している。
 
 2.若者に夢や希望を
入院した時に、20代の若い理学療法士(PT)・作業療法士(OT)・言語聴覚療法士(ST)の3人からリハビリテーションを長期間受けた。その時に、彼等の覇気のないことを不思議に思い、(入院中で時間は充分あったので)理由を考えてみた。
高度成長時代を担ってきた我々・団塊の世代は、経済成長の恩恵を受けて、いい時代を生きてくることができたが、今の若者は「失われた25年」時代にモノゴコロがつき、日本の絶頂期のことなど、全く想像ができないだろうし、先の見えない時代だけを実感してきた年代なのだと実感した。
親世代はリストラされ、賃金は上がらない、正社員比率も激減し低所得者層の増加・貧富格差の拡大など、彼等は日本の未来に夢や希望が持ちにくい時代を生きてきたことになる。若者のエンカレッジの必要性を強く認識した。
 3.故平田会長とのご縁
私は、今から32年前にユーターンして熊本に戻り、平田機工に13年間勤め、平田耕也会長には非常にお世話になった。平田機工に入社したことで、多くの厳しい局面も経験し、チャレンジすることの面白さも実感したり、私自身の「生き方」にまで多大な影響を受けた。脱サラ後も平田会長との繋がりを大切にしてきたこともあり、私が還暦を迎えて始めた若手経営者塾・共育塾にも共感していただき、共育塾生との会食懇談ゲストとしても継続的にお世話になってきた。そして不思議なご縁を強く感じる出来事が発生した。

  4.平田会長の突然の訃報
例年通りに、平田会長と共育塾5期生との会食懇談を平成24年7月20日に設定していたが、5月に体調不良で会食懇談には対応不可との連絡があった。会食懇談の代わりに、平田会長に塾生からの質問に返事をいただく準備など、いろんな経緯を通して、塾生向けのメッセージを作成・提供いただくことになった。そして8月3日に、平田会長が出社され秘書にメモと口伝・録音を実施され、秘書の方が「共育塾5期生のみなさまへ」を纏め上げ、1週間後の8月10日に平田会長のほうで最終チェックをした上で、私が受領する予定となっていた。ところが、その4日前の8月7日に、リハビリ病院にて急逝された。急逝されることなど、誰も想定していなかったことであった。
 5.私に託されたもの

このような経緯があるわけだが、暫く経ってから秘書とのやりとりの結果、長男の平田社長の了解の下に、平成24年8月3日付の「共育塾5期生のみなさまへ」というA4用紙2枚の文書を、受け取ることになった。
平田会長が、最後に若手経営者(共育塾5期生)へのメッセージを思考され、残された文書を、私に託されたことに対して、私なりに「平田会長の次世代伝承の思い」を強く感じている。今からの激変していく社会に対して、次世代を担う若者に伝えるように、私に託された感覚を持っている。
 一人でも多くの次世代人材が、「ないものを創る能力や起業家精神」を学び、気付き・実感する場を経験することで、新たなチャレンジを求めるようになることが非常に大切である。そして次世代人材に、「起業家精神の大切さ」や「ないものを創る喜び」を実感できるような場を提供することが、いい時代を生きてきた我々・団塊世代の役割というか、義務ではないかと考えている。
「ないものを創る能力や起業家精神」を次世代人材に、どのように学んでもらうか考えた結果、世界を相手に事業展開を行ってきた身近な地元経営者である平田機工鰍フ故平田耕也会長から、起業家精神を学び、よりリアルな具体的事例を通して実感してもらうことができればと思う。
来年は、試行錯誤しながら、そのような場づくりを地道にやっていきたい。