■日本人のあり方に思う@ はじめに

  私は終戦の年(昭和20年)に生まれ、もののない貧しい時代に少しもの心がつき、戦後
 日本の変化とともに生きてきたことになる。振り返ってみると、小学生時代の日本社会は、
 貧しい中でも夢と希望に溢れており、日本人の大多数が、シッカリした道徳観念(誠実、
 忍耐、正義、勇気、思いやり、嘘をつかない、名誉を重んずる、恥を知る、卑怯は悪など)
 を当たり前に持って生活していたように憶えている。最近の日本社会だけでなく世界の社
 会問題の実態を見ていると、50年前の日本社会は、もしかしたら「今からの地球社会の
 規範となるべき精神、人としてのものの考え方」を有していたのではないかと感じること
 がある。
 日本社会が著しい経済発展に伴い大きく変化していく中で、日本人そのものが単に時代の変化による
 影響の枠を超えて、「日本人が日本人でなくなってきている」のではないかと、非常に寂しい気持ちになる。
 テレビニュースを見ても、いつも人間性を疑うような事件や事故が報道されており、繰り
返しの中で感覚が麻痺してしまい、いつの間にか少々のことには驚かなくなっている。
政治の世界においては、賄賂や汚職など不正が蔓延し、政治信条よりも有権者に
阿ることが優先され、政治家資質の低下がいわれ始めて久しい。企業経営者においても、
ホリエモンや村上ファンドのような倫理観の欠如したマネーゲームや、不二家やリンナイの
顧客軽視の経営判断、企業競争激化による非情で自己中心的な事象の多発など、
経営者資質の低下も著しい。一般庶民社会においても、孤独死や親父狩り、電車内での
飲食や化粧、子供の虐待や親殺し、引きこもりや学校におけるいじめ問題や学級崩壊
など、日本社会そのものの崩壊を思わせる傾向を感じざるを得ない。
   このような中で、今までの社会問題を見直し改善し、日本人のよさを取り戻すべく教育改革なども始まり
 かけているが、どうも本質面よりも現象対応を重視し、根本的な見直しには繋がらないのではないかと
 感じざるをえない。
 戦後60年をかけて、日本人自身が日本人のいいところを壊し続けてきたわけであるが、これらの原点回復
 には、同じくらいの、いやそれ以上の年月をかけて取り組む必要があるのかもしれない。
   少し脱線気味になるが、今年に入って、健康には自信のあった私自身が病気を複数
 抱えて、具体的に治療を始めているところであるが、改めて健康の大切さを強く感じている
 ところである。脱サラ以来、60歳を過ぎた今も、気力・体力に任せて突っ走ってきた歪が
 出てきたわけであり、今までの生活パターンを見直し、今からの生き方を模索している。
 転機を迎えて時には、相田みつを氏の「にんげんだもの」を改めて読み直すわけだが、
 今回も読み直している最中である。
 今から30年前に相田氏が書いた作品「ラクしてカッコよければしあわせか」を読んで
 いて、まさに相田氏が危惧していた社会現象が顕在化していることを改めて認識し、また
 首記のテーマのもやもやを解消できる「何か」を感じるとともに、今からの日本人のあり方に
 関するヒントを見た気がしている。
 相田みつを氏の著書「にげんだもの」(文化出版社)から「ラクしてカッコよければしあわ
 せか」(P26〜27)を、次回から2回に分けて転載し、考え方の整理に活かしたいと思
 っている。(ただし文字や文節等は作品を文書化すべく、一部、言葉を変えて掲載する)