■「暗黙知教育」の必要性について

先ず「暗黙知と形式知」に関して、少し触れておく。
暗黙知と形式知の分かり易い事例として、長島監督と野村監督のことが引き合いに
出される。例えばバットスイングについて、長島監督の選手指導は「左膝をピッと締めて、
ピャッとバットを振る」など感覚的な言葉での指導が多く、普通の選手にはうまく理解でき
ないような話も聞く。一方、野村監督はデータ野球といわれるように、「肘を脇腹に付けた
まま、水平にバットを振る」など普通の選手に理解できるような指導をするといわれている。何となくイメージで分かっていただいたと思うが、長島監督が暗黙知教育で、野村監督が
形式知教育で選手指導を行っているということになる。もし長島監督の持っている
ノウハウを、誰かがマンツーマン指導で体得し、その人が野村監督のように分かり
易く表現できると、多くの選手に長島ノウハウを伝授できることになる。

この考え方を、ビジネス手法に持ち込んだ人が一橋大学大学院の野中郁次郎先生である。
野中郁次郎先生が発案した「ナレッジ・マネジメント」という知識管理の手法はアメリカでも大きく評価され、
現在では日本発の世界的ビジネス手法となっている。上述の事例に示したように、社員が個人的に身に
付けたノウハウである「暗黙知」を、データ化・文書化して「形式知」に持っていくことで、知識の共有化、明確化を図り、作業の効率化や新発見を容易にしようとするものである。これは「SECI(セキ)モデル」といわれる
もので、「共同化→表出化→結合化→内面化」のプロセスを経て暗黙知を形式知まで変換し、知識の
共有化に繋げるという手法であるが、詳細は専門書に譲ることとする。

では本論に入る。
今、いろんなところで人材育成の重要性や教育見直しの必要性が強調され始めている。
具体的にいうと、今までは知識・スキル偏重の教育になってしまい、精神的習熟能力や取組み
姿勢などの道徳面・情緒面の教育(心構え教育)がおろそかにされてきたことで、大人になり
きれていない社会人を大量に育成してきたのではないかということである。

 小学生による万引き事件に留まらず同級生や親の殺人事件、中高生による売春や麻薬関係の事件、大学生による集団強姦など、若者の起こす事件の深刻さは増すばかりである。また大人の社会においても村上・
ホリエモン事件や姉歯事件など、何かが狂っている社会事象が頻発している。倫理観の欠如や物質主義、
金銭至上主義が世の中を覆いつくしている感がある。
会社面接に際しても、学生に対して「スキル教育、ハウツー教育」がなされ、優秀そうに見える学生でも、想定されていなかった違った切り口からの質問には答えられないようなことも発生しているようである。
また会社では指示待ち族が大幅に増えて、指示されたことはやるが、自ら考えて行動することが苦手になってきているとよくいわれている。

少し話がそれるかもしれないが、
「自分にとって、やりがいのある目標を、前もって設定し、段階を追って実現していく」というP.J.マイヤーの
言葉があるが、私の好きな言葉である。
社会人教育とは、「自らの能力向上であり、教えあい学びあう関係の双方向教育であり、気付きによる
自己変革である」と考えており、その根底にあるのが自立・自己実現を求める心ではないかと考えている。
今は社会人教育といいながら、本質的には「教える・教わる関係の一方向教育であり、依存的学習態度で
ある」学生教育の域を出ない教育の場が多すぎるように感じている。

十数年前の悩み多かれし時に、自分自身で「やりがいとは?」「当事者意識とは?」について徹底的に
考えたことがある。
その結果「やりがい」とは「自己向上心と社会貢献意欲」から生じるものであり、自分の生き様を創っていく
上で、「やりがい」を持って事に当たるということが非常に大切なことだと整理したことがある。「やりがい」を
持って事に当たるということは、結果的に「当事者意識」を強く持つことにも繋がっている。
サクセスストーリーで紹介される人物は、成功していく過程の中で、先ずは「自己向上心」重視から、徐々に
成長するに従い「社会貢献意欲」重視に切り替わっていくようであり、このバランスも自らが変化・成長・発展
していく過程で、大切な要素であると考えている。また当事者意識の希薄なサクセスストーリーへの
登場人物も皆無であることも追記しておく。