■能登半島ぐるっと周遊②2日目
能登金剛遊覧船・厳門クルーズをする予定でしたが、波が荒く中止となり、日本海の荒波により造られた大自然の造形美「厳門」のすぐ近くまで降りていきました。知床遊覧船沈没事故があって以来、少しでも波が荒いと、すぐ中止になるそうです。
下に降りる途中から眺める景色も素晴らしかったです。
絶景かな!
観光列車“のと里山里海号”に、「能登中島駅」から「穴水駅」まで乗車。
観光列車の内装を見ると、まるで九州を走る「ななつ星」(水戸岡鋭治デザイン)のイメージだったので、添乗員に「水戸岡鋭治さんのデザインですか?」と聞いたら「地元の工芸家のオリジナル作品です」とのこと。
座席は海側を眺めるように設計がされており、まさに里海観光列車です。停車駅以外でも、撮影スポットでは列車を止めてくれる“ノドカな雰囲気”の列車旅に癒やされました。 
 
特に印象的だったのが、ボラの見張り台。ボラの大群が来た時には、監視員が合図を送って、一斉に出漁していたそうです。この見張り台はレプリカで、監視員も人形だそうです。
乗車した「能登中島駅」では、全国で2箇所だけに残してある「鉄道郵便車オユ10 2565」が展示されており、郵便車内を観ることができました。
「鉄道が開業した明治5年から鉄道での郵便輸送は始まり、昭和61年に廃止されるまでの114年間という長きにわたり、郵便物を送り届け続ける」という大切な役割を担っていたのがこの鉄道郵便車だったそうです。運送・配送効率が悪く、徐々に衰退へ。
そして国鉄からJRに移行する昭和61年(1986年)、郵便車は全廃となり、郵便車の歴史は幕を降ろしました。その時に殆どの郵便車両が廃車となり、全国で2両だけが奇跡的に生き残ったそうです。
バス移動で、いよいよ「輪島の朝市」へ。
広い道の商店街(360m)の前に、朝市のテントが立ち並んでいましたが、時間的に昼に近かったためか、すでに閉めた店や片付けている店が多くて、マバラな感じでした。
輪島朝市のイメージは、採れたて市(魚・干物や山菜類の販売)だと思っていましたが、実際はいろんな物が売ってありました。一夜干しの干物とかも買おうと思いましたが、長持ちしないようだったので、乾物類や漆器を買っただけです。この地方独有の「あすなろの葉(金運守り)」を平床おばあちゃん(有名人)からプレゼント。
朝市付近でチョット印象的だったのは、NHK朝ドラ“まれ”の「輪島ドラマ記念館」があり、土屋太鳳の壁書きサインも見てきました。輪島警察署「あさいち交番」も普通の家を改造して造ったようで、面白かったです。
バス駐車場の横には輪島塗会館があり、覗いてみましたが、値段が一桁違ったので見るだけにしました。
それからバスで白米千枚田に寄ったあと、能登に残る日本唯一の揚浜塩田村に行きました。ここの案内人(オーナー?)のユニークな解説には興味津々。塩造り工程の動画を見た上で、塩田に案内されて塩撒きの道具や撒き方の紹介をしてもらい、塩造りのイメージがだいぶ分かりました。塩撒き写真の左右上部には、塩水粒子が漂っています。(均等に細かい粒子にしての塩撒きは、結構難しい作業のようです)
NHK「ぶらたもり」でタモリがここに来た時には、この案内人がタモリに紹介したそうです。この人の話術はプロ級で、面白おかしく聴衆を惹きつけるものがあり、販売に大きく寄与しているだろうと感じました。
最後に見附島(軍艦島)に立ち寄りました。見附島までは、石が埋められて道が作られており、干潮時は渡れそうです。
見附島という島名は、空海(弘法大師)が佐渡島から当地方に渡った際、最初に見付けた島であることに由来するとのこと。
「空海は、密教の布教にふさわしい場所を探すため、唐の港から「三杵(さんしょ:金剛杵)」を投げた。これが佐渡(独鈷杵)、高野山(三鈷杵)、珠洲(五鈷杵)の法住寺に届き、空海はそれぞれの場所で開祖するため、佐渡から能登に渡ってきた。」とのこと。
今回の旅行で、能登での空海の足跡も初めて知りました。