■台湾日本語世代からの遺言①
私は40年以上前(1978~1983年の5年間)に、ミツミ電機の子会社・鳳山美之美有限公司(FOM:台湾・高雄)に出向して、現地の人たちと一緒に仕事をしていたことがあります。「非常に楽しい、また思い出に満ち溢れた5年間」を過ごしたので、私にとっては今でも“第2の故郷”です。その後も台湾に家族旅行で招待されたり、桜の季節に朋友夫婦を招待したりしたこともあり、今でも当時の右腕だった朋友・呉宗洋氏とは時々電話をしたり、毎年賀状のやり取りをし、年末には台湾カラスミが送ってきます。
最近の対中国問題を含めて、台湾情勢については非常に気になり、いつもチェックしています。
私以上に“台湾愛”を持っているON‐do中川社長のFacebookに、「日本時代に日本教育を受けて育った人たち(戦前日本人→戦後台湾人)の多様なドキュメンタリー」書籍2冊の紹介があったので、私の知らない台湾の側面であり、非常に興味をそそられ読んでみたくなりました。早速、中川社長にお願いをして貸してもらいました。
今、「トオサンの桜~日本語世代からの遺言」(平野久美子著/産経NF文庫)を読み終えたところです。

日本統治下(台湾は1895年~1945年までの50年間)で、「日本人」として育った日本語世代は、戦後も「自分は日本人」というアイデンティティに誇りを持っていたり、逆に、それが台湾人として生きていく上で足かせになったりと、とても複雑な人生を送った人たちが少なくないことを改めて知りました。中には国際情勢に翻弄されて、日本軍兵士として戦地に赴き、戦後も国民党の台湾軍兵士として大陸に出兵、その後中国共産党兵士として朝鮮戦争に従軍した人もいた話には、非常に複雑な心境になりました。
ここで「台湾日本語世代」の立ち位置がわかる「日本時代から始まる台湾近代史」について書いておきます。因みに、私が台湾にいた時代は、戒厳令解除前、一般民間人の海外渡航解禁前でした。(当時は、台湾の近代史を全く意識していませんでした)
1895年 :日清戦争の結果、清国が台湾を日本に割譲
1915年 :西来庵事件終結で組織的な反日運動が終結
1919年 :台湾教育令が公布(1943年:6年制義務教育実施)
1940年 :日本風改姓名制度を実施
1944年 :徴兵制の導入
1945年 :日本敗戦(台湾総督府から台湾省行政長官に施政権移管)
1947年 :国民党政権による台湾人弾圧(2・28事件へ)
台湾人600万人に対して、国民党(外省人)200万人の支配体制へ
1949年 :蒋介石が南京から台湾到着、戒厳令と懲治反乱条例の施行
1949年 :思想犯収容所「緑島」設置(~1987年:戒厳令解除し緑島閉鎖)
1988年 :蔣経国死去、李登輝が初の台湾人総統に
1991年 :懲治反乱条例廃止(国民党軍から国軍自立化:静かなる革命)
1998年 :李登輝総裁が「新台湾人」を提唱
2000年 :民進党の陳水扁総統に(李登輝が国民党主席を辞任)
2008年 :国民党の馬英九総統に(親中国政策推進)
2014年 :ひまわり運動(中台サービス貿易協定反対の学生が立法院を占拠)
2016年 :民進党の祭英文総統に
2020年 :李登輝元総統死去
947年から続いた「国民党一党独裁」政権を、李登輝が1991年から2000年にかけて、中華民国の民主化を進めて、2014年の民主化運動(ひまわり学生運動)を通して真の民主主義を勝ち取ったという時代背景があります。
その間に、最も時代に翻弄された象徴的な人々が、「台湾日本語世代」といえるかもしれません。