■天地元水神社「水神祭」に参加して

カッパ伝説発祥の地で有名な「天地元水神社(菊池市原)の水神祭」が7月16日に開催されました。実は43代目当主・渋江公昭(きみてる)氏は私の従兄弟です。毎年「水神祭」の案内は来るのですが、2年ぶりに夫婦で参列。
彼は第30代敏達天皇(6世紀)の末裔にあたり、初代は橘諸兄(736年に聖武天皇から橘姓を賜る)と歴史書に記載されており、3代目島田麿の時に称徳天皇より天地元水神社を賜り(768年)、9代目敏政の時から渋江姓となり神社を継ぎ、今の当主・公昭が43代目、その長男公誉(きみたか)が44代目になります。(家系を半年間かけて調査)

式次第の最後に、今年5月に「文教菊池顕彰会」が発足したことを、牧さん(元菊池市長:発起人)から紹介されました。
「文教菊池」の先人家を代表して菊池武則氏(菊池家43代当主:東京在住)と渋江公昭氏(渋江家43代当主:菊池在住)を中心に、15人が名を連ねています。会長は山本さん(元県教育長)です。
直会(なおらい)の席の中で山本会長と話したのですが、江戸から明治にかけて文教菊池が中央人材を輩出していますが「菊池出身を誇りに思って公言する人が少ないので、菊池の体質を“郷土に誇りを持って発信する”ように変えていきたい」というような話もありました。

文教菊池顕彰会の設立提言書より。
人間は、文明を発展させ、時代に引く継ぎ、そして残しますが、人間の内なる本質を発展させ、残すことはできません。人はいつの時代にも愚かで、同じ歴史を繰り返します。だから常に教育が求められます。教育こそが自己を支え、家族を支え、地域を支え、そして国家の礎になります。いつの時代にも国家百年の大計は教育にあります。 

そして文教菊池の足跡として、
*菊池一族の21代重友公が、戦国時代に孔子堂を建て、桂庵禅師を招き、また儒学を授けたり文教菊池張っての基礎を築いたと云われます。桂庵禅師の残した言葉「肥の国たるや、文あり武あり、民は礼節を知る」もあります。
*そして文教菊池は二百数十年の沈黙を続けたあと、江戸の中期に「菊池文教の祖」と言われる渋江紫陽が私塾を開き(1749年設立)、以後渋江家7代にわたり、明治に至るまで約160年に間地域の子弟たちに学問を授け、文教菊池の振興に努めたことは有名です。
そして、『教育とは「人生の生き方の種蒔きをすること」一言で言えば、人間力を養うことにあります。』で締めくくってあります。

非常に驚いたのが、元市議だった人が「菊池は名刀の生産地」についても、次々と現物を見せながら解説を聞かせてもらいました。その発祥となる「有名な菊池千本槍」についても少し詳しくなりました。
いろんな方々がいることを改めて実感しました。