■還暦を迎えてA

  熊本にユーターンして、いつの間にか23年も経ってしまった。
 私が次男坊であったこともあり、熊本に帰省訪問したときに父からの帰郷要請を
 受けた。ちょうど人生の岐路にあったと思うが、会社の人事で台湾子会社の総経理
 (COO)になる話が出たときと同時期であり、非常に迷い悩んだ末に最終的に帰郷する
 ことに決めた。37歳のときであったが、このときの決断の経験があったことで、その後の
 いろんな岐路での決断を下す際も、自分を客観視しながら惑うことなく淡々とできるように
 なったようである。
 
  熊本での最初の13年間は、地場の世界展開している企業で仕事をしたわけだが、初めて企業体質・
 企業文化のギャップの大きさを実感させられた。非常にユニークで素晴らしい発想のできる社長で
 あったが、私自身の台湾での成功経験も邪魔をして、意志の疎通もあり、思うように力を発揮することが
 できないままで、50歳を目前にしていた。そして、あることをきっかけに思うところがあり、脱サラをすること
 とした。当社長との出会いにより、「なぜそのように考えるのか」「なぜそのような判断をするのか」を深く
 考えると共に、多くの本も読むようになったことで、私自身の思考の幅も広がったことを実感している。

  振り返ってみると、今の私があるのは、その時々に様々な人との出会いがあったからこそ
 であり、それらの方々との御縁に本当に感謝している次第である。
 特に、脱サラしたあとの私の進んできた道は、多くの方々からのご縁で成り立っており、「あの
 方との出会いがなければ、今はない」との感は強い。
 中小企業診断士の資格取得の勉強、病院顧問活動をやった結果、資格も取得でき、製造業
 のプロコンを目指しての中小企業診断士活動の地道な活動をやっていた時代。その後、思い
 もかけず県からの県支援センター・プロマネの新規活動開始の話が転がり込み、仕事も公的
 支援活動にシフトし、活動が全国に広がり始めた時代。その活動の中からIM養成研修を受講
 することとなりJANBO活動への参画し、ライフワークとしてのビジネスインキュベーションを
 意識し始めた時代。そして今年は、九州経済産業局からの新連携支援活動への参画要請を
 受け、新連携担当プロマネとして福岡での活動が始まったところである。

  現在は、中小企業基盤整備機構九州支部の新連携担当プロマネの仕事と、くまもとテクノ
 産業財団のリージョンIMとしての仕事、それにJANBOの認定優良IM及びIMインストラ
 クターの仕事を3本柱として、その他業務を含めてチャレンジしているところである。次年度
 以降の活動のあり方については、10月になった時点で検討を始めることになる。
 私自身としては脱サラして以来、気力・体力に合わせて仕事を量から質に変化させながら、
 人生のソフトランディングを目指している。