■日本半導体の行く末は
1980年頃は日本が世界の半導体市場を席捲していた。
1960年ぐらいから1985年ぐらいまでの「奇跡の日本高度経済成長」を支えた産業の一つが「半導体産業」であった。1988年度の日本の半導体の世界シェアは50.3%で、アメリカが36.8%、アジアが3.3%であった。しかし大型コンピュータからPCに主流が移り、インテルはDRAM生産を止めて、マイクロプロセッサーにシフトし、その分野で世界を制覇した。
一方で1989年9月、日本政府は日米半導体協議の場で「不平等条約」である「日米半導体協定書」にサインしてしまった。これで日本の半導体産業の力は解体されてしまったことになる。
それ以降、日本経済の停滞とともに日本半導体産業も衰退し、2019年では日本半導体のシェアは10.0%に落ちてしまった。日本に代ってアメリカが50.7%,そしてアジアが25.2%になった。
日本の一人負けで,日本は「半導体後進国」になった。そしてサムスンやマイクロンがパソコン用の安いDRAMをつくりだしたので、日本のDRAMまでも敗退してしまった。
日経新聞のディープインサイト「IBM・インテルも来るか」の記事で、半導体の日本の位置づけは、前述のように1980年代の日米貿易摩擦を経て、日本はすでに半導体後進国に成り下がってしまった。
半導体微細化技術は、「①プレーナーフェット(30ナノ台まで:1960年からの平面構造)」、「②フィンフェット(28~5ナノ:2010年からの立体構造)」、「③ゲートオールアラウンド(3ナノ以下:2層3層構造のもので、もうすぐ量産化される段階にある:米インテル、台湾TSMC、韓国サムソン電子が先行)」と進化し続けているようである。
日本は現在、世界で実用化されている「②フィンフェット」の6~7世代前(10年前の技術)の段階にあるようだ。今回、TSMCが日本生産するものは16~28ナノレベルの製品のようである。(7~10ナノの最先端は台湾で生産)
一昔前に日本が海外進出する際、「最先端のものは国内で、量産確立されたものを海外で」と同じように、残念ながらTSMCから今の日本は位置づけられていることになる。
日本が最先端微細化技術に追いつくには、TSMCから最初の頃の「②フィンフェット」の技術を教えてもらい、その後に「③ゲートオールアラウンド」の技術をマスターすることしかなく、だいぶ先の話になりそうある。
「③ゲートオールアラウンド」の技術については、先日の外務・経済閣僚で決定した日米連携(ソニーGやIBM・インテル)による共同研究に委ねることになった。
アメリカ政府の「日本の半導体産業弱体化施策」から「最先端技術開発を日米で」への方向転換も、台湾・韓国に依存することへのリスク対応を考えたからにすぎない。
日本も、これ以上衰退しないためには、自動運転や「6G」メタバースで対抗していくためには、日本も半導体の開発から先端技術を磨き直すことが残された道になる。今後30年の日本のあり方に大きく影響するであろう。