■東洋哲学考

今年になってから、哲学をかじってみることにして、いろいろな本を読んできた。2回読んだ本や途中で止まっている本もあるが、時代背景を知るために「世界史」「日本史」「世界史・日本史並列年表」「世界の宗教」「神道」「仏教」などの早わかりダイジェスト書籍を辞書がわりに使っている。
いろいろな関連資料を調べているうちに、自分が「いかに、それに関する少しの知識で、あたかも全体を解った気持ちになり、いろいろな論評を加えていたか。」ということを痛感している。
いわゆる孔子や釈迦、ソクラテスなどが残している「無知の知(知らないことを自覚する)」という当たり前のことができていなかったわけである。自分を含めて人間は『自分は相手よりも上の立場でありたい』と願う虚しい思いと、『自分の存在が価値あるものでありたい』と思う儚い願いを抱えているようだ。
知らないことに対して、「何が」、「どこが」、「どのように分かっていないのか」、そしてまた、「その分かっていない部分は、本当はどういうことなのか」と探求していく過程において、思考は深まり、成熟してゆくことになることを改めて思い知った。

つい最近、書籍「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」(河出文庫:飲茶著)を読み上げたばかりであるが、おかげで東洋哲学に関するイメージがさらに広がった感じがする。当コラムの中で、西洋哲学と東洋哲学を比較して、何となく分かるようになってきたが、当書籍を読み上げてみて、今までと異なる「東洋哲学への理解」が深まったように感じている。
今は東洋哲学に焦点を当てているが、一番刺激的だったのは「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」(河出文庫 飲茶著)である。普通の哲学入門とは異なる視点で、具体事例を挙げて著者の見解を述べている。
源流はウパニシャッド哲学(古代インド)にあり、中国での老荘思想、孔孟思想と融合しながらインド伝来の中国仏教(鳩摩羅什)・禅(達磨)が広がり、それぞれの思想が日本に伝来してきた。

日本は海外の新しいものに興味を持ち、それを取り入れるという
「異文化の融合」が最も上手な国である。島国アニミズムが神道に育ち、外来の仏教を融合(明治維新まで1100年間の神仏習合)、道家思想(陰陽道)、儒学(朱子学、陽明学)を活用し、明治維新には欧米文化までを融合してきた。
戦後は無条件降伏により戦前体制を破壊されて、GHQ占領政策で変化させられ、それにさえも順応して経済発展を遂げてきた。


 
世界の中で、「東洋文化と西洋文化の融合」を先駆けたのは日本であり、今から必要となる国際連携のために「世界的文化の融合」をリードできるのは、唯一、日本だけではないかと感じている。
「倫理観の高い、集団化に相応しい日本精神・文化」の欧米化は
いろんな意味で気になっているが・・・
一つの集大成として、共育塾プラスワン資料として、「王陽明 陽明学」でブラッシュアップしてきたものを『「日本精神の根源」を探る』を作成しているところである。