■ターニングポイント その2
 −新たな支援体制づくりへの取り組みの見直し−
  
  今から5〜6年前に中小企業基本法の抜本改正や中小企業支援法の制定が行われた。
 バブル崩壊が発生して10年くらい経ったタイミングであった。バブル崩壊により、時代が
 高度成長期から低成長期に変化したのに対して、施策は過去の高度成長期の延長線で
 行われてきたために、「失われた10年」などとよくいわれている。この反省に基づき、時代
 の変化に沿った施策への切り替えが、ようやくスタートした頃のことになる。
 従って国のほうでは、今までの中小企業支援体制の中で、施策変更を行っただけでは
 抜本的な施策変更は難しいとの判断の下に、従来とは異なる新たな支援体制として
 「3類型の中小企業支援センター」をつくることになったと考えている。
  本来、中小企業庁が作成した中小企業支援計画に基づき、県の都合を組み込んで追加修正を行い、
 県の中小企業支援計画が作成されるわけであるが、このときは国の計画提示の遅れもあり、県の計画
 作成は支援センター活動を開始して数ヶ月経って作成されたため、私のほうでは国の計画をベースに
 仕組みづくりを行った次第である。
 そのようなこともあり、国の中小企業支援計画に沿った「今までとは違う、低成長時代に即した支援機関
 づくりを行う」という使命感をもって、私自身は支援センター活動を行ってきたのだが、後で作成された県の
 中小企業支援計画とある程度の差異が発生し、「支援機関のありたい姿」とのギャップが生じている。
   国が画策した当初の中小企業支援計画からみると、プロジェクトマネージャーの位置づけは
 財団トップの運営スタッフ的位置づけで、人事権に踏み込むくらいの重みを持ったものであったが、
 結果的には、熊本県をはじめ多くの県で、単なる経営支援部署の配下にある企業支援人材的な
 位置づけとなってしまったわけである。一方、宮城県や広島県など、いくつかの県では国の当初の
 位置づけに沿って動いており、5年間の積み上げによる成果を、着実に残しているところもあるし、
 途中でトーンダウンしていったところもあるようである。行政の意識改革レベルと、プロジェクトマ
 ネージャーの資質との相乗作用が結果に出ているように感じる。
  また当初から、経済産業省が推進している「プラットフォーム事業」(インフラ整備を
 中心の「創業・経営革新の促進」施策)と、中小企業庁が企画した「3類型の支援センター
 事業」(現場支援を中心とした「経営革新・創業の促進」施策)の存在が、企業から見たとき
 に施策の全体像を分かりにくいものとしたわけであるが、県担当の理解の下に、熊本県が
 全国初の一体化パンフレットを作成したことは、自慢できることではないかと考えている。
  その後は年度を追うごとに、国の考えも各都道府県の中核的支援機関も徐々に一体化
 させる方向に推移していった。一方では、福岡県のように技術支援機関と中小企業支援
 機関が別途に存在することで、一体化のネックになっているところも僅かではあるが、
 存在するようである。
 
 以上のようなこともあり、時間が経つと共にセールスポイントである「民間人材の活用(なぜ民間人材を
 活用するのか、どのように活用するのか)」の意味合いも薄れ始めて、多くの県で従来施策の延長線上に
 戻されてきた感すらある。考えるに、戦後の高度成長期を30年間以上支えてきた体制が保守的になって
 しまっていることは当たり前のこと、即ち「変える、変わる」ことには抵抗があることは当たり前であり、
 それを変えることの難しさを改めて感じている。
 「過去の否定に基づく、新たな支援体制づくり」に私自身が一直線に邁進し始めたことが、意識改革の
 促進に繋がるのではなく、どちらかというとマイナスに働いてしまったことも実感しており、いろいろ反省すべ
 き点を感じているわけである。
 
  体制の意識改革の方策は、本質的には「トップの劇的な交代」と「革命を起こすこと」という2つ
 しかないと思っている。「行政の劇的な変化」と判断して、そのエンジンとなるべく活動を行った
 結果、そうでもなかったわけだが、「トップの劇的な交代」と「革命を起こすこと」に期待するのでは
 なく、第3の現実に即した方策を検討することが大切であると、今は考えている。「トップの劇的な
 交代」と「革命を起こすこと」の条件が整った場合は、それに沿って変革を加速していくことも可能で
 あるので、現実的には短期的な変革を求めるのではなく、長期的な変化を目指すことで、あせる
 ことなく、回りの意識改革を醸成していくことが、実現を目指す早道ではなかったかと考えている。