■ 日中韓の儒教の違い
 
 何か起こる度に、政治家・官僚・経営者・警察官・自衛官・学校関係者などのトップ連中が雁首をそろえて、「皆様にご迷惑・ご心配をおかけし、誠に申し訳ありません。」と言って、一斉に頭を下げるシーンを見る機会の多さは、ただただ驚くばかりである。
これは政治・経済・社会のトップ人材の劣化というか、倫理観の欠如が至る場面で言われている。今のアメリカのことだけでなく、日本国内でも、国レベルだけでなく個人レベルでも同様な傾向が強まってきているように感じざるを得ない。自己中心主義が拡大すればするほど倫理観の劣化が進み、下手をすると第3次世界大戦に繋がりかねない。今こそ世界的に倫理観を高める努力が必要とされる。

こういう時に思い浮かぶ言葉は、「倫理・道徳教育」であり、儒教思想も倫理・道徳を重視したものとして、紀元前6世紀の孔子時代から存在している。

 儒教については、共感するところも多いが、我々日本人がイメージしている儒教思想と、中国(発祥の地)韓国(小中華思想)でイメージしている儒教思想には、どうも異なっているようである。
儒教観に対する日中韓の違いを王敏法政大教授は『中国、韓国の二国と日本は、儒教に関する立ち位置が異なっている。相対的に見れば、中韓文化は共通して儒教を古典的倫理観の核心としているが、日本文化においては、儒教は最も重要な核心にはなっていない。儒教を人生観、生活観、幸福感、世界観に加えて、生活の知恵としても基準にしてきた中国と韓国に対し、日本では儒教というより「思いやり」などといった価値観が顕著に表れている。』と捉えており、ケントギルバートは『日本と中国・韓国の決定的な違いは、先天的なDNAの問題よりも、後天的要素である歴史的、文化的な背景になると思う。物事に対する考え方や捉え方が、日本人と中国人、そして韓国人とでは、根本から、制反対と言っていいほど違う。その違いの根源が儒教にあると考えている。』と言っている。朝鮮で思想化された「小中華」、その大本にある「大中華(漢民族)」という「中華思想」の原点が儒教に根差しているようである。

儒教思想が色濃く浸透している国が韓国(朝鮮)であり、李朝時代に儒教を国教にして小中華思想を確立したといわれる。小中華思想の元となった中華思想は儒教に裏付けられた漢民族の文化優越主義から始まり、地理的世界観、政治的世界観も併せ持つに至る。中華思想の基で中国王朝(大中華思想)は周辺諸民族を他者化(自他の区別をつけるもの)し、夷狄(文明化しない野蛮人)、禽獣(獣に等しい存在)と蔑む一方、冊封体制(事大朝貢体制)によってその世界観を具現化し、また同時に夷狄の教化に当たったとのこと。

「日中韓の儒教の違い」の深掘りを、時間を見つけていつかしてみたい気になった。