日本精神の考察③

<儒教について>

 儒教とは孔子によって原始儒教が体系化されたもので、東アジア各国で影響力を持つ思想である。儒教の祖・孔子(前6世紀)と、その思想を発展・整理した孟子(前4世紀)を合わせて孔孟思想と呼ばれている。孟子は「理」を重視し性善説に立っているが、同時代の荀子は「礼」を重視し性悪説に立っている。
その根本義は「仁」である。儒教の主教書としては「 四書(論語・大学・中庸・孟子)、五経(易経・書経・詩経・礼記・春秋)」である。
儒教には五倫五常があり、五倫とは「父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信」の五つの倫(倫理)をいい、五常とは「人に存する仁・義・礼・智・信」の五つの徳(道徳)をいう。
ただし、あくまでも根本は「仁」であり、五常のいずれも「仁」の範疇を出るものではない。「仁」は是非を明らかにした上で全てを包容するもので、明らかになるが故に義が生じ、人に節操(礼)が生じ、真理に通り(智)、守るべきもの(信)を知るのであるとする。
12世紀には朱子(朱熹)が四書五経の見直しを行い、四書に注釈を入れて矛盾解消を図ったが、「偽学の禁」とされて不遇の死を遂げた。しかし朱子学は身分制度の尊重、君主権の重要性を説いており、明の時代に学問部分が国教と定められた。それが朝鮮王朝の国家の統治理念となり、それまでの仏教を排した。日本においても江戸時代に社会支配における道徳の規範として儒学、特に朱子学が多くの藩で採用された。主教書は四書「大学(入門書)、中庸(基本の心得)、論語(孔子問答)、孟子(孟子問答)」である。
15世紀に王陽明が出現し、朱子が修正したことに異を唱え、大学を古本大学に戻したりした。朱子学は知識重視・保守的であり、陽明学は実践重視・革新的であると私は捉えている。「知行合一(真知は即ち行いたる所以なり。知りて行わざるは、ただ是れ未だ知らざるなり)」が象徴的な思想である。
この陽明学は、江戸時代の日本にも伝えられ、大塩の乱を起こした元与力・大塩平八郎や、倒幕運動した幕末維新の志士を育て、自らも安政の大獄に刑死した長州藩の吉田松陰らは、朱子学に疑問を感じて陽明学に傾倒し、陽明学者を自称している。

 <道教について>
道教は漢民族の土着的・伝統的な宗教で、中国古代に生まれた多くの神々を崇拝し、原始的な宗教様式を持つ伝統宗教である。神仙となって「道」を得ること、また世の中の人々を救済するのが道教の主旨で、老子の『道徳経』が道教の主要な経典となっている。中心概念の「道」とは、宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。この「道」と一体となる修行(徳)のために錬丹術を用いて、不老不死の霊薬、丹を錬り、仙人となることを究極の理想とする。
老子(前6世紀)が道教の始祖と言われ、その思想を発展・整理した荘子(前4世紀)と合わせて老荘思想と呼ばれている。老子の「無為自然」、荘子の「とらわれない心(超越思想)」はその思想を端的に表すものである。
漢の時代(前206~後220年)に儒教が国教となってからも、老荘思想は中国の人々の精神の影に潜み、儒教のモラルに疲れた時に、人々は老荘を思い出したという。儒教がエリートの思想(建前)で、道教が庶民の思想(本音)と言われることもある。
老荘思想は、仏教とくに禅宗に、儒教とくに朱子学にも多大な影響を与えている。
中国では文化大革命で、古くからある思想が全否定されたために、道教も壊滅的な打撃を受けたが、現在でも台湾や東南アジアの華僑・華人の間ではかなり根強く信仰されている宗教である。
日本各地で発掘されている三角縁神獣鏡や道教的呪術文様から、道教も仏教、儒教と一緒に4世紀には流入していたとみられる。6世紀までには広がっていったが、核となる道教経典・道士・道観の導入を伴っておらず、体系的な移植に至らずに、断片的な知識や俗信仰の受容に留まったようである。
一方で道教に取り入れられていた要素に過ぎなかった陰陽思想、五行思想や神仙思想、またそれに伴う呪術的な要素は、道術から陰陽道に名を変えて政務の中核を担う国家組織にまで発展した。奈良、平安時代には陰陽道が宮廷社会から日本社会全体へと広がりつつ一般化し、法師陰陽師などの手を通じて民間へと浸透して、日本独自の展開を強めていったようである。