■プロジェクトマネジャー卒業にあたって
 
  当コラムを書き始めてみると書きたいことがいろいろと出てきてしまい、全部で8回のシリーズとして
  掲載することにした。

  第1回 :はじめに
  平成11年度の支援センター・モデル事業のスタートの時から
  拝命していた「熊本県中小企業支援センター・プロジェクト
  マネジャー(PM)」を、このたび卒業することとなった。
  平成7年に脱サラしてからは、常に自らの変化・成長・発展を
  求めながらやってきたが、その中でもPM時代の4年間における
  私自身の変化は想像すらできなかったことであり、
  私の人生の中でも非常に充実した印象深いものとなった。
  お世話になった多くの方々に対して、
  感謝の気持ちで一杯である。
   
   また熊本県中小企業支援センターは、私と初代のサブマネジャー(稼氏、山田氏)と3人で、
  ゼロから創りあげたという自負もあり、また昨年度の御手洗SM、川久保SM、高森SMの4名体制も、
  今回の組織変更でなくなることとなり、一抹の寂しさと安堵感の入り混じった複雑な心境でもある。
  この4年間を思い起こしながら、節々の事柄について書きとめておきたい。
  
   先ず支援センターPMになるに至る人との縁について触れてみる。
  当時、県商工観光労働部・経営指導室室長の福嶋さん(現・鏡町町長)がおられた。
  福嶋さんは平成10年ころに中小企業振興公社(現在は「くまもとテクノ産業財団)に統合)の
  事務局長をされていたが、私がちょうど中小企業診断士になりたてのころで、公社の仕事を通して
  福嶋さんと知り合うことができ、その時もいろいろとお世話になった。
   その後福嶋さんは経営指導室に異動され、県中小企業支援センターを新設するに当たり、
  福嶋さんを筆頭に何人かの方が私をPMに推薦していただいたようである。福嶋さんとの縁がなければ
  PMには100%なっておらず、私は全く今とは異なる方向で、行政とはあまり関係をしない
  「製造業の経営コンサルタント」活動をやっていたであろう。
   このような人生の大きな転機となる機会を作っていただいたことに対して、福嶋さんはじめ、
  多くの方々には心から感謝している。
   私は福嶋町長からの要請を受け、鏡町の産業振興に関しても、
  微力ながらお手伝いをさせていただいている。