■右顧左眄(うこさべん)しない心
   昨日、支援企業の社長から事務所に電話があり、
  「あんたが以前言っていた言葉で、回りの言動に惑わされずに、
  自分の信じる道を貫くような意味の言葉は、何と言う言葉だったろうか?
  俺は今、そうせんといかんと思っているところだ」とのやりとりがあり、
  「それは右顧左眄しない心だよ」というような話をした。
  「右顧左眄しない心」、私が非常に好きな言葉の一つである。
   慶応四年、江戸を目指す新政府軍に単身乗り込み、江戸城総攻撃を阻止した男、山岡鉄舟。
  その右顧左眄しない言動は、やがて明治天皇の心を捉え、厚い信任を得る。
  時流や権力に決して阿(おもね)ることなく大道を貫いた鉄舟の生きざまは、西郷隆盛をして、
  「命もいらず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は始末に困る。しかし、この始末に困る人ならでは、
  苦楽をともにして国家の大業を成し得られる」と言わしめた。 
                 <「春風を切る−小説山岡鉄舟」神渡良平著・PHP研究所より抜粋>
   
   「右顧左眄」とは「右を顧み、左を流し目で見る」という言葉で、判断を下す時に、人の意見、
  噂や思惑を気にしてばかりいること、躊躇(ためら)うことの意味である。
  従って「右顧左眄しない心」とは、回りからの影響を受けることなく、自分の信じる道を歩んで
  いこうとする強い心の様を表す言葉である。
   私は、この「右顧左眄しない心」という言葉と15年ほど前に出会い、それ以来、弱い自分の
  「ありたい心」として願いながら、座右の銘として心に刻んで、その心のあり方を心掛ける
  ようにしている。
  「敵は百万ありとても」の心意気に通じることではないかと思っている。
   また、7年ほど前に興味がありカウンセリングの勉強をしたことがあるが、その時に
  「主体的に生きる」上での2つの大切な心構えを学んだ。一つは人間関係に大切なこととしての
  「受容、共感、自己一致」ということがあり、「相手を受け入れること、相手の考えに理解を示すこと
  自分の心と言動を一致させること」、「生かし生かされている感覚」の重要性を説いたものである。
  もう一つは主体的に生きる前提として「自己選択、自己決断、自己責任」があるということで、
  「種々の情報や助言を相手から貰っても、自分が選び、自分が決め、結果は自分が受け止めること」
  「実存的な生き方」の重要性を説いたものである。
   
   当事務所の理念として「自立と協創」を掲げているが、これらは全て同根であり、
   「自分を生きる」上において、現在の事務所活動の原点に置いている。