■南紀周遊ツアーに参加して@初日
  
  3月に九州で最も格式の高い霧島神宮に参拝して以来、次は日本で最も格式の高い伊勢神宮に参拝
 したいと考えてきた。4月から複数の旅行社のパンフレットを調べたところ、どの旅行社にも「伊勢神宮・
 高野山・南紀周遊」ツアーが掲載されており、種々の検討を重ねた上で、読売旅行社に決めて、5月19日
 から21日の2泊3日のツアーに夫婦で参加した。
  初日は高野山奥の院で参拝後に白浜温泉に宿泊、2日目は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、
 熊野那智大社+那智山青岸渡寺+那智の滝)参拝と熊野古道遊歩後に紀伊勝浦温泉に宿泊、そして
 3日目は伊勢神宮本宮での参拝を終えて帰路に着くというツアーである。2泊3日の行程だが、時間的
 にも肉体的にも結構ハードで、密度の濃いツアーであった。今回の旅行を通して、いろいろ多くのことを
 感じたこともあり、シリーズでコラムを書くことにした。
  
  初日は博多駅に7:45集合し、8:05の新幹線で出発、
 そして新大阪駅には10:35着。初めて大阪まで新幹線に
 乗ったが、福岡から大阪までが、たったの2時間半で到着
 したので、昔のイメージを持っている私にとって、この
 時間的距離感にはビックリさせられた。
  新大阪駅からは観光バスに乗り継ぎ、途中休憩を含めて
 約3時間で高野山の大門に到着。雨の中、高野山真言宗の
 総本山金剛峯寺をバスの中から垣間見ながら、高野山町中
 を車中から眺めているうちに奥の院の入口駐車場に到着。
 バスガイドの話では、高野山町は山上の町なのに、住人は
 4100人もいるそうである。何よりもビックリさせられたのは
 寺の数が117もあること、そして宿坊(寺で宿泊させるところ)
 はその半数もあるとのことだった。いつか是非、宿坊に泊
 まって、ゆっくりと金剛峯寺で参拝したり、高野山町を散策
 したりしたいと思っている。  



高野山の大門

   奥の院の入口駐車場に到着しバスを降りると、専属案内人が待っていた。駐車場から奥の院までは
 数百年は経つ大きな木々や、さまざまな大小の墓、企業の慰霊碑などが林立しており、雨の中という
 こともあり、非常に不思議な空間であった。雨の中の移動で、案内人からの道筋での説明は殆どなく
 一路奥の院へ向かった。奥の院に到着してからの時間が多くなったこともあり、院内では案内人から
 多くの興味深い話を聞くことができた。
 「弘法大師は62歳で金剛峯寺を出て奥の院に移られ、そのまま即身仏になられた。即身仏はミイラでは
 なく、そのままの御姿で、今なお修行をなされている。本堂でのお勤めを果たされた後は、その奥で
 お休みになっている。」とのこと。
 また当日は五色の幕がかけてあったが、「弘法大師が奥の院にいるときに、五色の幕をかける。」との
 説明があり、「明日から弘法大師が旅に出るため、五色の幕は外される。あなたたちは本当にいい時に
 参拝に来た。弘法大師がいる時は、加えて、お香(粉末)も準備されている。」などと当日の旅行者が
 喜ぶような話がたくさんあった。


弘法大師


三鈷杵
  奥の院に上がる階段のところで、参拝客一人一人に、お坊さんがお香(粉末)を
 左手に乗せてくれ、それを両手に擦り込んでから正面での参拝を行い、裏手を回り
 ながら「お大師様は本堂にいるのではなく、本堂の地下にいるが、地下に参拝しな
 いで帰る客が多い」などの説明を受けながら、ほぼ一周して地下に入っていった。
 地下に入ると、小さな仏像が何段にも設置してあり、延々とその光景が続いていた。
 その一体一体が多くの亡くなった信者であり、地下で供養されているのだと思う。
 その奥のほうに大きな三鈷杵と数珠が設置してあり、それらに触って参拝をすると、
 願いが叶うとの説明があった。「弘法大師は自分中心、自分勝手な人間を最も嫌う。
 願い事をするときには、最初は社会のこと、家族のことなどのお願いをして、最後に
 自分の願いをすること。」というような話も、地下で参拝した後にあった。

  参拝後に奥の院本堂を離れた札所の近くで、高野山特有の「お札の御利益」について、案内人から
 いろいろ説明があったが、その説明の仕方が上手で素晴らしく、「買わないと損」のような感覚を醸し
 出していた。殆どのツアーメンバーが、案内者の言葉に触発されて、たくさんの種類のお札を買っていた。
 もちろん、私もその触発された一人であり、ついつい5種類ほどのお札を買っていた。多くの参拝客が絶え
 ない高野山で鍛えられた案内人の言葉の巧みさを、後で改めて感じ入った次第である。熊本の観光地にも
 このような案内人を育成することで、観光客の使うお金が変わるのだろうと、改めて思った。

  高野山をあとにして、高野・龍神スカイラインを通って、日本三大古湯の一つである
 白浜温泉まで休憩を含み約3時間かけて到着。我々が泊まったのは、ホテルシーモ
 アという164室もある少し古びた大きなホテルであった。我々が宿泊した部屋は非常
 に広く、ツアーでこのような立派な部屋に宿泊できることに驚いた。
 ここの売りの一つが「格安のクエ料理」ということで、広報紙でもアピールしている。
 だいぶ前に、近大マグロという言葉が流行ったが、近畿大学水産研究所がクロマ
 グロの人工養殖を成功させたことは聞いていた。クエも養殖していることは初めて
 知ったが、少し調べてみると、近畿大学と株式会社アーマリン近大、和歌山県が
 一緒になって地域おこしを始めており、地域の特産品料理として、白浜ではクエを
 売りにしているようである。株式会社アーマリン近大を、10年前に大学ベンチャー
 として立ち上げて、最近ではクロマグロ、クエ、マダイ、シマアジ、ブリ、カンパチ、
 トラフグなどの養殖用種苗、および20種以上の成魚、加工品の販売をやっている
 ことを知った。

ホテルシーモア

白浜くえ料理

  ここのもう一つの「売り」は、徳川吉宗も愛した紀州名物の梅樽露天風呂「望郷の湯」である。男湯には
 7つの梅樽風呂が設置されており、絶景のオーシャンビューとのことであったが、暗くなってからやっと
 入浴できたので、非常に残念であった。
 次の日も午前8時の出発であり、早めに就寝した。