■大慈禅寺と月照和尚A

  昨年の大病から復帰後に、何かの力で動かされている自分を意識しながら、新たな活動づくりにストレートに突き進んできたが、冷静に考えざるを得ない現実にも直面し始めている。そして「気力・体力が充実している段階での最後の社会貢献の場を何処に置くか」に迷いが出始めている。
いろいろな「思い」を実現しようと、肉体的・精神的な試行錯誤をする中で、やはり「病気を再発させない健康重視した上での活動」が制約条件としてあることを再認識している。また「自分ができること」「自分がやりたいこと」や「集団でできること」「集団に期待できること」など、いつの間にか綯い交ぜになってしまっていることに気付いた。
そこで再度、脱サラ時の原点に戻る必要性を感じ、頭に思い浮かんだのが上月月照和尚との対話のことであった。そして今からは常に、この原点に戻る気持ちを呼び起こすために、月照和尚の書を身近に置いておきたいと思った次第である。
  10年くらい前(参禅後)のことだが、あるところで色紙に書かれた月照和尚の書「直心是道場」を見たことがあり、大慈禅寺と上月月照和尚が繋がるものとして、手に入れたいと思ったことがある。今回、いつの間にか忘れ去っていたことを思い出し、上月月照和尚の書「直心是道場」を入手したいと考えた。
そこで大慈禅寺に電話を入れて、月照和尚の書が入手できないかの相談をしたところ、月照和尚の書を複数持っている方を紹介していただいた。
その方を訪問して、月照和尚の書を十数点見せて貰ったが、残念ながら「直心是道場」はその中になかった。しかし、一つ一つ書の意味の解説を受けながら全点見せてもらった結果、有り難いことに自分の心にフィットする書を見出すことができた。
それは「○万法帰一」という書である。その方のご好意で、その書を譲り受けて早速、掛軸に仕上げて自宅の床の間に飾っている。
 
「直心是道場」が意味することについては、16年前に目にした時に調べて理解しているが、今回、「万法帰一」も合わせて調べ直したので、禅語としての【万法帰一】と【直心是道場】の意味を、以下に記載しておく。
 【○万法帰一】
○は宇宙、月、心を表わすものであり、「天地と我と同根」「万物と我と一体」であることを示している。自分の心は宇宙に通じるものであり、自分の心が小さなことに左右されることなく、「深く、広く」「無常・無我」「全てに感謝」の心で満たそう。
万法帰一(まんぽういつにきす)の「万法」は「この世の全ての現象」のことであり、「一」は「絶対的な実相・現実・真理」のことである。
つまり「万法帰一」とは、この世の現象の全ては、絶対的な実相から派生したものであるので、その実相である「一」に還元されてしまう、ということである。
 【直心是道場】
「直心是道場」は「素直な心をもって精進修業すれば、天地至るところが道場であり、修業の場所ならざるはない。」という唯摩居士の教えである。
ある時、修行者が都会の喧騒の中では修行ができないと考え、修行に適した静寂の地を求めて町の城門を出ようとしたところ、城門内に入ろうとする維摩居士に出会った。「どちらからいらっしゃいましたか」修行者が尋ねると「道場から来たよ」と維摩居士は答えた。道場から≠ニ聞いて、修行者は弾んで「道場はどこにあるのですか」と尋ねた。
その時、維摩居士は「素直な気持ちがあれば、どんな所も道場、修行の場だよ」と答えた。
これが「直心是道場」という意味である。