大慈禅寺と月照和尚@
  
  先ず、大慈禅寺について紹介したい。
 「大慈寺」は、熊本市の南部・野田地区にある曹洞宗の寺院である。この寺は古くから
 九州における曹洞宗の本山として名を馳せてきた寺である。山号は大梁山で、修行道
 場として僧堂があり本尊は釈迦三尊。一般的には「大慈禅寺」と呼ばれており、今回の
 タイトルには「大慈禅寺」と書くこととした。
 開山の寒巌義尹(1217 - 1300)は、道元に参禅した曹洞宗の僧で、2度の入宋の後、
 博多の聖福寺を経て肥後に住むようになった。地元の地頭・河尻泰明は寒巌に帰依
 し、境内地を寄進して弘安元年(1278年)に大慈寺が創建された。寺は亀山法皇の勅
 願寺となり、正安2年(1300年)に本堂が完成した。
 開山の寒巌義尹が後鳥羽天皇(順徳天皇とも)の皇子であったため、朝廷との結び
 つきが深く、紫衣を許可され、曹洞宗の九州本山として寒巌派の拠点となっていた。
 その後、当寺は焼失と再興を繰り返してきたが、明治時代初期には廃仏毀釈で荒廃
 していた。昭和期には澤木興道が滞在し、坐禅を指導していたこともある。
 その後、昭和60年に再興されて現在に至る。
 新しく建てられた坐禅堂は壮大な建物で、毎月第一日曜日の坐禅会のほか、随時
 一般に公開されている。
  http://www.yado.co.jp/kankou/kumamoto/kumamsi/daijizenji/daijizenji.htm


  
  思い起こせば、
 今から16年前の平成7年7月、私が49歳11ヶ月の時に脱サラをした。
 「49歳11ヶ月」を強調する理由は、新たな人生にチャレンジするのであれば、50歳の声を聞いてからでは
 なく、40歳台でスタートを切りたいとの、私なりの強い拘りを持っていたからである。
 その時に最も必要なことだと考えていたことは、自分自身の意識改革を図ることであり、「完全リフレッシュ
 後の活動再開」=「企業勤めの延長線のリズムを引きずらないで、新たな活動にチャレンジすること」
 だった。そのためにも座禅を組んだり住職の話を聞いたりして、今までの自分と決別をしたいとの「強い
 思い」があった。インターネットで熊本にある禅寺で、自分のイメージに合ったところを調べたところ、曹洞宗
 の九州本山である大慈禅寺を見つけることができた。
  座禅を組むところを大慈禅寺に決めて連絡も取り、その年の秋に曹洞宗の大慈禅寺を厳粛な気持ちで訪問した。
その時に対応いただいた方が、上月月照和尚(その時80歳を越えた曹洞宗の相当
に偉い方で、号は「祖庭」。)だった。聞くところによると、現在96歳でご健在であり、
しかも熊本に住んでおられるようである。
その日の個人参加は私だけだったようで、最初に広い座敷に一人だけ通されて、暫く
待たされたことを覚えている。その部屋には、私の座った目の前に掛軸が飾って
あり、「直心是道場」という書であったことを今でも鮮明に覚えている。
しばらく経ってから、参禅者が大広間に全員集まって月照和尚の法話を聞いたり、
板の壁に向かって座禅を組んだりし、その後一人だけ別室で食事も出していただいた。

  普通の参禅者と違って、事前に私が和尚と話をしたい旨を伝えていたためではないかと思うが、ありが
 たいことに行事を終えた後、わざわざ私のために時間を取って長時間にわたって、対話をさせていただ
 いた。理不尽なことや迷いなど世俗的な話を含めて、幅広い内容の対話をさせていただいたが、「あなた達
 には見えていない世界ですが、坊主の世界も世間と同じく泥臭い世界で、・・・」と宗派内での権力闘争を
 含めて、率直な話もしていただいた。仏道に励む世界も一般社会と同様の泥臭い人間関係が存在する
 ことは、その当時は思ってもいなかったことであり、印象深く私の中に残っている。
 そして私の脱サラ後の原点(精神的ケジメ)が、大慈禅寺での参禅と上月月照和尚との対話にあることを、
 16年経った今、いろいろ考えている中で再認識したところである。