■新たな気付きC :ホームレスの多様化
 日本は20年前に、高度成長社会から低成長社会にシフトしていったが、同時に少子高齢化社会に向かっていることもあり、この頃に若者と高齢者の関係が、
「WIN−WINの関係」から「利害対立の関係」に切り替わってきた。
 例えば、65歳定年延長は反面で、若者の就職機会を減少させることになり、日本の将来を担うべき若者が、責任を持った仕事に就く機会や意欲を損なうことになる。逆に医学の進歩によって、寿命はまだまだ伸びていく方向にあるが、核家族化の進展で地方でも独居高齢者が増加しており、高齢者の介護・福祉費用も伸びる一方となっている。そのことで将来への不安を切実に実感せざるを得ない高齢者が増加し、若者には負担を強いることにもなり、若者への金銭的・心理的負担も増加していく。このような時代の変化の中で、若者も高齢者も「人間関係への不安」と「将来への不安」が深まっているように感じる。

 入院中にNHKの討論番組を見ていて、若者だけでなく高齢者にも「住む家はあっても、そこに居場所のない人」が増加していることが分かった。そして、これらの人々は、精神的なホームレスなのだと思った次第である。
そうなると、ホームレスとは「住む家がない路上生活者」即ち「物理的ホームレス」のことを称していると思っていたが、「住む家はあっても、そこに居場所のない人」も「精神的ホームレス」として存在しているということを、改めて認識するようになった。若者にも高齢者にも「精神的ホームレス」が増える傾向にあり、都会だけでなく地方においても増加傾向にあるようだ。
 サラリーマン社会での精神的疾患を抱える人が増加している話や、いじめや引きこもりの話を聞くと、物理的ホームレスの数に比べて、精神的ホームレスの数が圧倒的に増加しているように思われるし、何よりも見た目だけでは分からないケースも多いために、社会的には問題が大きいように感じる。

 若者においては、無差別殺人事件や家庭内暴力などの事件が、テレビのニュース番組で放映されることが増えている。転々とさせられる派遣社員や引きこもりの若者などが事件を起こして逮捕され、知り合いは「あの大人しい、礼儀正しい人がまさか・・・」とインタビューで話をしたり、事情聴取の際に本人が「何処にも自分の居場所がない」「生きている意味がない」などと言っていることも多く、若者においては物理的ホームレス以上に、精神的ホームレスが最近では急増・顕在化しているようである。
 大家族制度で、3世代以上の親族が同居していた時代には、世代を超えたコミュニケーションが多面的に行われ、家庭が「心の拠りどころ」として存在していた。「貧しくとも喜びを分かち合うことで喜びは倍増し、悲しみを分かち合うことで悲しみが半減する」ような場所である。「核家族化」「共稼ぎ」「鍵っ子」の時代を経て、「家族の絆が形式化して家族解体」に至っているようで、コミュニケーションも稀薄となり、子供にとっても「家庭が自分の居場所」にはなりにくいようである。

 最近の若者は躾や道徳教育を蔑ろにした学校教育を受け、社会人としての基本ができていない面があるように感じる。子供の人格尊重という名の下に、「失敗させない、傷付かせない、優劣をつけない」などを重視した教育指導を受け、運動会の徒競走競技も、みんなで手を繋いでゴールするような話まである。個性を活かすどころか、個性を殺すような過保護な教育を受ける中で「生きていく能力(努力、辛抱、根性など)」が育っていないことは、悲劇ではないか。若者が「すぐに切れる」というような話が多いことにも繋がっていると思う。
 このような教育で、「失敗を恐れてチャレンジはしない、やり抜くための強い気持ちが持てない、忍耐力が弱い」若者が増え、その結果として、自分で考えることが苦手で、先見力や創造力も育っていないように感じている。
 高齢者においても、驚くべき話が最近のニュース番組で報じられている。
111歳で、全国長寿番付2位とされた東京都足立区の加藤宗現さんが、30年以上前に亡くなっていたことが分かり、大騒ぎになった。「即身成仏する」と言い残し自宅の1室でミイラ化したというが、遺族は死亡届を出さず、区の訪問調査でも生存を強調していたそうだ。加藤さんを受給者とした老齢年金や遺族共済年金を不正受給していたとのこと。このような話を聞くと、日本人の大人も、ここまで堕落してしまったのかと嘆かわしい気持ちになる。


 日本には現在、100歳以上の高齢者が約4万人存在するとのことだが、どうも他にも「生きているかどうか分からない名ばかり高齢者」は、相当数いると推察できる。それぞれの調査事例を検証すると、「徘徊したまま行方不明」「独居生活のまま連絡を絶つ」「一家で行方不明」などといった一定のパターンが見えてくる。いずれにしても昔の大家族制度では「家庭が居場所」として存在していたが、核家族化した現在では、子供達は独立して家を離れ、子供が親に対して「他人・無関心」に近い感覚を持つ傾向にあるようである。子供が独立すると、夫婦だけの生活となり、更に連れ合いが亡くなり独居高齢者となる。お金があまりない場合は、公的な介護・福祉の世話になるものの不充分、常に不満・不安を抱えて、生きていくような生活になりがちである。

 「地方の都市化」「核家族化」が進展し、「地域コミュニティの崩壊」がここまで進み、その歪が顕在化してきたが、現在抱えている問題を解決するために、昔の社会に後戻りすることはできないわけで、我々はそれらに代わる新たな社会的仕組みをつくっていくことが必要となるであろう。