■宮本武蔵の「五輪書」
 宮本武蔵が残した「五輪書」については、単なる「兵法の書」というだけでなく「ビジネス戦略・戦術」や「人間の生き方」など、多面的に有用な古文書であるといわれている。それも日本だけでなく、海外においても非常に評価は高く、多くの言語に訳されて世界各国で幅広い読者層に読まれているようである。
このような素晴らしいものが、武蔵の終の棲家となった熊本の地で書き上げられたことは、熊本人にとって非常に誇らしいことであると思っている。

     雲厳禅寺
 1641年、武蔵は「兵法三十五箇条」を3ヶ月で書いたようだが、その直後に恩人・細川忠利が死去。忠利公の死後は、失意の中で武蔵は兵法指南のほかは世間との交わりを断ち、書画・彫刻に心を傾けながら禅に没頭したようである。そして熊本市の西に位置する通称「岩戸観音」と呼ばれる「雲巌禅寺」の裏手にある「霊巌洞」に参禅するようになった。短期間で書き上げた「兵法三十五箇条」に満足していなかった武蔵は、1643年、60歳になったのを機に、自らの人生の集大成である兵法書を仕上げることを決意し、この洞窟にこもって、自らあみだした二天一流の極意書の執筆に取り掛かった。しかし執筆開始から1年を過ぎた頃には武蔵は病気がちとなり、最後は城下町に戻り治療を受けながら執筆を続けて、やっとのことで完成させたようである。
 武蔵が「五輪書」を書くに至った背景には、時代の流れが大きく関係しているといわれる。武蔵が28歳の時に、佐々木小次郎に勝つまで行ってきた勝負は、殆どが一対一の「小の兵法」だったが、30歳の時に大阪夏の陣に参加したことで、時代は大軍を操る「大の兵法」を求めていると悟った武蔵は、個人の兵法の限界を知り、その後進むべき道を模索した時期があるようだ。そして最終的に、大軍を構成するのは一人一人の兵であり、そのそれぞれが剣の極意に通じていれば、屈強の軍隊ができるということ、つまり「小の兵法」が「大の兵法」につながることを確信した武蔵は、その極意を伝えるべく「五輪書」を執筆したといわれている。
    霊厳洞

     五輪書
 「五輪書」の五輪とは、仏教で宇宙の万物を構成する五大要素を円輪にたとえたもの。この書も五大要素になぞらえて、「地、水、火、風、空」の五巻から成り立っている。徹底した剣の技術と相手の心の動きも読み取り優位に立つ、絶対不敗の兵法である。「五輪書」は、それを後世に伝えるため、武蔵が心を傾けて書いた己の兵法の集大成である。
では「五輪書」の「地、水、火、風、空の5巻」に関して、それぞれの概要を最後に紹介しておく。
@地の巻 :武蔵の考える兵法の基本や、二天一流の基本概要が記載されている。「兵法は実戦で勝つこと
        を基本とすべし。二刀に拘ることなく、片手でも一刀を持てるように腕を鍛えておけば、どんな武
        器をとっても実戦に役立つ。」というようなことである。
A水の巻 :二天一流における心構えや、体の姿勢、視線の置き方などが実戦的に体系化して記載されて
        いる。「戦いの場では平常心が肝要。五つの太刀筋や打ち込み方などを会得すれば、自ずと相
        手の太刀筋も読める。構えに拘らず、相手を倒す事のみを考え、臨機応変に振舞うこと」という
        ようなことである。
B火の巻 :実践に臨んで敵に勝つための要諦や、種々の戦術(駆け引き)などについて記載されている。
        「一人に勝てば万兵に勝てる。戦の場を瞬時に見取って有利な場所に立つこと。相手の気持ち
        になって心を読み、精神で圧倒せよ。」というようなことである。
C風の巻 :他流派(代表的な九兵法)の欠点を知り、二天一流の道理を理解するためのことが記載されて
        いる。「他の流儀のように、武器に頼ったり、構えや足使いなど形ばかりに拘るのは、真の兵法
        にあらず。二天一流に武器や形に決まりはなく、自在な心で臨むこと。」というようなことである。
D空の巻 :武蔵が会得した空の意味とその境地(兵法の真髄に触れる武蔵哲学)について記載されてい
        る。「武士の法をわきまえ、技も心も充分に磨く。その上で迷いのない境地に至る事が、真の空
        である。空の境地こそ兵法の真髄なり。」というようなことである。
 武蔵の人生の集大成としてまとめた「五輪書」の真髄に触れることで、武蔵が考えていたことが、現代にも高いレベルで通用することを実感した。この事実に驚くと共に、武蔵への尊敬の念を深めた次第である。