■ご縁を大切に B
 自分なりに思うところがあり、40歳代のうちに脱サラして、新たな生き方へのチャレンジをしたいとの「思い」に駆られて、49歳と11ヶ月の時に脱サラをした。事前に家内にだけは「会社を辞めることにする」と伝えたところ、「自分で安定した収入よりも、やりがいを選んだのだから、それでいいと思います」との返事が返ってきたことで、心おきなく次に向かって邁進することがでた。
 ユーターン就職を決断したときに比べると、種々の経験を積んだことで精神的に鍛えられたこともあり、あまり迷うこともなく脱サラの決断することができた。社長はじめ、社内外のいろんな方々からの「思いとどまるように」との助言をいただいたものの、一度自分で決めたことであり、全く迷うこともなく実行に移した。

 脱サラ後の「自分にとって、やりがいのある人生」をどう切り拓いていくのか?
 会社の看板を外したら、原則としては社会的信用はゼロから始めていくことになると考えている。「看板を外したときに生じる人間関係の変化が、真実の人間関係である」との話を聞いたことはあったが、全くその通りであることも改めて実感できた。
 それまでの自分を引きずって新たな活動に入っていくことは、絶対したくなかったので、リフレッシュ期間を設ける必要性を感じていた。そこで新たな自分づくりを行うために、約半年のリフレッシュ期間を設けて気分一新しながら、また気力・体力・知力も蓄えなおしながら、「自分が世の中にお役に立てることは何か」をブラッシュアップしていった。いろいろ検討していく中で、何らかの資格を取得して新たなスタートを切ることにした。種々の資格を検討した結果、最終的には、今までの経験を活かして社会デビューするために、中小企業診断士(以後は診断士と称す)の資格取得をすることと決めた。

 脱サラから診断士資格取得までに、受験勉強を行っていく際の家族の協力にも、心から感謝している。家内には一緒に散歩をしながら、暗記科目の訓練相手をしてもらったし、長男は奨学金などを活用して博士課程を卒業してくれた。おかげで年齢とともに劣化していた集中力や暗記力が、時が経過するに連れて復活できたことには、我ながら驚かされた。自らの経験を通して、「人は無限の可能性を秘めている」ことを実感することもできた。
 この後の10年間は、私の仕事人生の中でも、自分では全く想定もできなかったほど、最もめまぐるしく変化・成長・発展した時期であるといえる。そのように生かされて来たのは、新たな多くの出会いを含めて、現在、お世話になっている方々との「ありがたいご縁」のおかげであると感謝している。

 ご縁に感謝ということでいうと、リフレッシュ期間を経て診断士の勉強と並行して、出田眼科病院の顧問として仕事をさせていただいたことにも、心より感謝している。
 そして中小企業診断協会熊本県支部の山下支部長に電話を入れて、「診断士の資格を取るつもりなので、今後ともどうぞよろしくお願いします。」と挨拶にいったのが、山下先生との初めての出会いである。そのことが縁で山下先生に高年齢者雇用開発協会の中野事務局長を紹介いただき、これらの縁を得たことで、私の診断士人生はスムースなスタートをきることができたわけだが、お二人には心より感謝している。
 診断士の1次試験、2次試験に合格をして診断実習を行った際に、北九州の山本先生に指導を受けたことが、もう一つの印象深い縁である。診断実習で指導を受けたときに、山本先生が、製造業の多面的な深みのある経営指導をされることに驚き、山本先生のような能力を身に付けたいと考えて、北九州で月1回開催されている山本勉強会にも参加させていただくようになった。
 山下先生、山本先生には、その後もずっとご指導いただいているところである。