■ご縁を大切に A



 
 父から「熊本に帰ってきて欲しい」という話と、会社からは「鳳山美之美の総経理になって欲しい(=子供が中学・高校になるまで海外生活することになる)」との話が同じタイミングで発生し、それまでで最大の人生の岐路に立った。思いもよらない二つの話に、どのようにすべきか非常に悩んだが、子供の時から深層心理にあった「次男ではあるが、自分が将来は親の面倒をみる」という気持ちを大切にして、社会人15年目にして熊本にユーターンすることを決めた。本社の副社長からの強い引止めもいただいたが、心揺らぐことなくことを進めさせていただくようお願いをした。地元の方の紹介で平田機工・平田社長(現会長)にお会いし、関連の工場を2箇所案内いただきながら、長時間の対話のあと、「当社単独でロボットを開発し、事業化段階にあるが、貴方に当事業を立ち上げてもらいたい」とのありがたい言葉をいただいた。私に期待をいただいていることも充分に感じることができ、平田機工に入社することに決めた次第である。

 平田機工時代の最大の私の財産となった縁は、やはり平田社長(現平田機工会長)との衝撃的な出会いから始まっている。当初はミツミ電機での経験・実績に大いに自信を持っており、平田社長に対してそれを基に対応していたが、想定外の話が帰ってくることも多く、非常に戸惑いを感じることとなった。今まで経験をしたことのないような思考をされることへの理解ができずに、カルチャーショックを感じるとともに、折に触れて自信喪失に陥ることも再三あった。
「社長は何故、そう考えるのか」「何故、私の意見を否定されるのか」「何とか自分を活かしたいが、どうすればできるか」など大いに悩みまくった時代でもある。仕組みのでき上がった企業での業務推進と、仕組みのできていない企業での業務推進のカルチャーギャップには、大いに悩まされたが、あとで振り返ってみると、このときの悩み苦しんだことが、また平田社長に影響を受けたことが、今の自分を形成していることに感謝している次第である。

 
 最大に影響を受けていることが、「人は無限の可能性がある」「自分で考え、自分で決める」「ないものをつくる面白さ」「人と違うことを考え、実践する」「本質に迫る」ことなどがある。
 もし平田社長に出会っていなかったら、本質に迫ることなく表面的な思考しかしない結果、順境の連続で慢心し切っている自分自身が、未経験の逆境を迎えた際に挫折しているのではないかと想定できる。正論で世の中が動いているとの書生的感覚の思い込みも、「黒が白になる」ことも何回も身を持って経験したことで、早い段階で是正することができたと思っている。
 
 平田機工時代には、いろんな特色なる人材と出会うことができた。
先ずは私自身が戦友仲間と認識している「熱い思いと実践的論理性」を持った大久保氏、「熱い思いと抜群の実務推進力」を持った緒方氏がいる。二人は私の部下であったが、「熱い思い」や「チャレンジ精神」など身を持って実践し、ある意味では私の師でもあると考えている。それに「思考の柔軟性」の非常に高い北川氏、「思考の構造化」をした非常に頭の切れる松波氏など印象深い人材に接し、大企業では絶対に育たない凄い能力に遭遇したことで、環境が人をつくることを強く実感できたように思う。
 平田機工では、何よりも「ないものを創る喜び」「チャレンジ精神」を学ぶことができたこと、それに一品料理メーカーの「変化への対応(戦略商品や標準化の重要性及び1品料理の総合効率追及方策)」を学ばせてもらったことになる。