■人生の書「菜根譚(サイコンタン)」について

   菜根譚は17世紀初に洪自誠(洪応明)が書いたといわれ、
  「人生の書」として日本でも古くから読み継がれてきたものである。
  私も十数年前にこの本(翻訳・解説付)を買って読んだことがあるが、
  今思うとあまり印象に残ってはいない。
  しかし、今その本を見てみると20箇所近くを折り曲げているので、
  その時はいろいろ多くのところに共感を持ったのであろうと思っている。
   最近は新たにいろいろなことを考えることが多く、
  なぜか菜根譚を読んでみようかという心が生じたので、
  最近出版された「新釈 菜根譚」(PHP研究所、守屋洋著)を購入し、
  今読みはじめているところである。
   この本の前書きのところに、
  「なぜ菜根譚が時代を超えて読み継がれるのか?」が
  納得できることを書いてあったので、
  内容をアレンジして紹介しておきたい。
  中国では、古くからあった思想に儒教と道教がある。
  中国において公の場では、建前として儒教の規範に従うが、
  私生活の本音のところでは、むしろ道教の影響を強く受けてきた。
  儒教は「べき論(建前)」の多いエリートの思想であり、
  この思想を貫こうとすると息苦しいものとなる。
  それを補完する役割として裏の道徳(本音の道徳)である道教が庶民の間でもてはやされた。
  (道教の原型は老荘思想とのこと)
  しかし儒教も道教も「応対辞令の学(厳しい現実を、如何に生きるか)」の教えであり、
  悩める心の救済には立ち至っておらず、それを補う形でインドより伝わってきた仏教、
  それをもとに中国で独自の展開を見せた禅が広がっていったようである。
   洪自誠が生きた時代は、明の時代でも非常に世の中が乱れた時であり、
  厳しい社会情勢にあり、表の道徳・儒教の権威が揺らぎ、
  道教や仏教に心の救いを求める者が多かったようである。
  菜根譚は、この三つの教えを融合したところに特徴があり、
  そこから独特の味わいが醸しだされている。
  たとえば、悠々自適の心境を語りながら、必ずしも功名富貴を否定しない。
  また、厳しい現実を生きる処世を説きながら、心の救済にも多くの言葉を費やしている。
  隠士の心境に共鳴しながら、実社会に立つエリートの心得を説くことも忘れない。
   菜根譚は、「20代で読んで多くの点で納得いかず、
  30代で読んで反発は感じず共感するところがでてき、
  40代で読んで思わず小膝をたたきたくなる言葉に多くぶつかるようになった」という、
  不思議な魅力を持った古典である。